国語教育のあれこれ

国語教育について

本ページの更新と「作品別」解題等について

2014年05月14日

 言問学舎ホームページ中、とくに本ページでは、言問学舎としての国語指導の理念や実践法などを、具体的に論述した形でご紹介することを、主たる目的としております。

 また、近代・古典の文学作品の解題等も、必要のあるものは本ページにまとめをする計画で、「国語力を伸ばすには」のページなどで、予告をさせていただいた経緯もあります。

 しかしながら、昨年(2013年)7月より、新規に国語専用サイト「国語力.com」の運営を開始しましたため、後者については、「国語力.com」にその機能を集約し、鋭意記事の掲載をすすめている次第です。現在、「国語力.com」には、以下の内容を掲載中ですので、ご紹介させていただきます。

<国語教室 近代>

 村光太郎『レモン哀歌』を、行間に注目して読む(3回完結)
 シリーズ 若山牧水の恋と旅と歌(不定期連載中、現在4回まで)
       短歌作品 「ふるさとの尾鈴の山の・・・」「幾山河越えさりゆかば・・・」
            「白鳥は哀しからずや・・・」「海底に眼の無き魚の・・・」
 高校生の現代文テスト対策
      夏目漱石『こころ』(完結) 中島敦『山月記』(ダイジェスト版完結、続稿予定あり)
      芥川龍之介『羅生門』(連載中) 森鷗外『舞姫』(現在連載中)

                                      ほか

<国語教室 古典>

 文語文法の基礎  月の異名と季節 枕詞と序詞

 『おくのほそ道』平泉-全文現代語訳つき

 和歌(短歌) 藤原敏行「秋来ぬと目にはさやかに・・・」
        大伴家持「新しき年の始めの・・・」
 
 古典の常識  『大鏡』‐「三船の才」、摂関家のライバル関係 

                                      ほか


◇「国語力.com」は、こちらのリンクよりご覧下さい。  http://www.kokugoryoku.com/


※作品別の解題の集積は、「国語力.com」を主体としますが、言問学舎の国語教育の手法等を含め、本ページも役割を終えるものではありません。ひきつづきご注目いただければ幸いです。
posted by 小田原漂情 at 14:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 論文・論述等

国語力向上の決め手は、表裏一体の「読解力」と「表現力」とをあわせて伸ばすことです!

2013年03月30日

 この3月は、「心」からのアプローチによる読解力向上と、文章を書くこと=表現力について、お話ししてまいりました。読解力と表現力、この二つは、それぞれ別個のものではなく、表裏一体、車輪の両輪のようなものです。

 他者の書いた文章をきちんと読むことができなければ、書く内容は独りよがりになりますし、文章力も向上しません。一方、読むだけで書くことができないと、読んで受けとったところから思考を深めることができません。

 従って、読むことと書くことの両方を経験し、磨くことが、国語力向上の決め手になります。

 言問学舎の「音読と読解」の授業では、教師がまず文章を音読し、つづいて子どもたちが交代で同じ部分を音読します。1回、もしくは2回の授業で感想文まで書き上げられるよう、15分程度で音読を終えられる教材を、用意してあります。

 そして作品別または基本形の、オリジナル版「読解シート」に沿って、感じたことをまとめて行きます。シートの内容は、こんな感じです。

≪言問学舎オリジナル/小田原漂情著『藤袴胸に刻むの記』(原典・古本説話集)より≫

@真福田丸は、なぜ一人で芹を摘みに行きたかったのだと思いますか?

A芹摘みの時、どうして真福田丸は疲れもせず、奥の池まで行ったのでしょう。

B姫様に初めて会った時の真福田丸の気持ちはどんな気持ちだと思うか、あなたの考えを
 書いて下さい。

C姫様はどういうつもりで、真福田丸にいろいろなことをさせたのだと思いますか(字を
 習うこと、学問、お経・・・)。
D修行からお屋敷へ戻って、姫様の死を知った時の真福田丸の気持ちはどんなだったか、
 あなたの考えを書いて下さい。

E「智光上人のおとむらい」の時、「幼い真福田丸が夢見心地で天にのぼって行く姿が見え
 た」ことを、どう思いますか。
                                  引用以上

 この「問いかけ」には、「正解」はありません。みんな、自分の思ったこと、感じたことを書けばいいのです。

 「国語ぎらい」の子どもが増える理由の一つに、「自分はこうだと思ったのに、☓だった」というものがあります。入試問題ならば○×は止むを得ませんが、読解力を育てる普段の国語の授業まで○×式では、国語を敬遠する子どもが増えて当然です。

 「音読と読解」の授業では、原則として子どもの感じたことをすべて認めます(一部、正誤のはっきりしているものでは、正しい方向に導くこともあります)。まずは子どもが感じたことを認め、表現させ、ある程度の方向性ができたところで、直すべきところは直すという、手間ひまかけた指導を実践しているのです。

 そして最終的には、400字〜600字程度の短い感想文を書くことが、授業の仕上げです。ここで子どもたち自身の思考が深められ、読んだ内容が咀嚼される一方、次に自分の表現したい内容を整理して行くことになりますから、国語力を向上させる大半の作業を、流れの中で体得することができます。

 この授業をきちんと受けた子どもたちは、例外なく読んで書くことが好きになりますし、結果的には国語の試験の点数や偏差値等も、上がって行きます。もちろん試験問題の解き方のテクニックや文法などは、はっきり時間を分けて、指導します。ただ国語力向上のために比重が大きいのは、この「音読と読解」の授業なのです。
 
 4月6日までの春期講習中を含め、随時体験授業(無料)を受けていただくことができます。また、「音読と読解の講座」に関しては、通信添削講座も開講します。いずれも詳細については、メール・電話にてお問い合わせ下さい(通信添削講座の詳細は、近日中に本サイト上にも掲載致します)。

★「読解シート」を引用した『藤袴胸に刻むの記』本文は、こちらよりご覧下さい。
 http://blog2.kotogaku.co.jp/ 言問学舎ホームページ 音読と読解の教材

◇電話番号は以下の通りです。 
 03‐5805‐7817 舎主・小田原漂情までお願いします。
 メールはページ下部のメールフォームよりお願いします。
posted by 小田原漂情 at 16:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | 論文・論述等

文章を書くこと、すなわち自己表現についてB

2013年03月29日

 昨日は新6年生のクラスで、「しりとり作文」を実施しました。十年間、子どもたちに大好評のプログラムで、この時ばかりは普通の作文で筆が進まない子も、楽しそうに生き生きと、自分の世界を書きつづります。

 実際の進め方を、ご紹介します。

 まず、「その日のテーマ」と、順番を決めます。昨日は「生き物の名前」でした。これに限定して、しりとりをします。対象が決められているので、「ル」などになると、なかなか言葉が出て来ないこともあり、みんな頭をひねります。

 時間を区切っておいて、一人当たり5〜7くらいの言葉がそろったら、しりとりは終了です。後半は、それぞれ自分が挙げた言葉をすべて使って、作文を書きます。ルールは次の通りです。

T.一文ではなく、ストーリーのある物語形式にする。
U.空想、虚構でよろしい。ただし、いい加減に言葉をつなげただけのものはダメ。
V.時数は200字詰原稿用紙一枚を目安とする。

 子どもたちは、空想の世界で、自分の感じたことを書いて行きます。はじめは全く荒唐無稽な「文」であっても、何度かやるうちに、まとまったストーリーのものが書けるようになって行きます。メリットとしては、次のようなことが挙げられます。

T.しりとり、作文を通じて、発想力・想像力が豊かになる。
U.文章を書くことへの抵抗がなくなり、書く力そのものも向上する。
V.しりとりの際に作文を想定して言葉を探すなど、「見通す力」が養われる。

 前回は文を書く「きっかけ」についてお話ししましたが、この「しりとり作文」は、子どもから書くことへの抵抗を取り除くためには、非常に大きな効果があります。ひとつには、ゲーム感覚で作文まで進行するので、子どもたちにとっても楽しいからなのでしょう。これを2、3回経験した子は、題材にもよりますが、200字から400字程度の文章を書くことについては、まったく苦にしないようになるのです。

 とはいえ、これはあくまでバリエーションのひとつ、それも年に数回だけの大きな変化球に過ぎません。決め球のストレートは、音読と読解です。この時は独自の読解シートを用い、作品について考えるポイントをまとめるため、感想文がきちんと書けるようになり、文章の読解力もぐんぐんついて行きます。次回はこちらを、ご案内致します。

文章を書くこと、すなわち自己表現について@
http://mbp-tokyo.com/kotogaku/column/28963/ 
文章を書くこと、すなわち自己表現についてA
http://mbp-tokyo.com/kotogaku/column/29176/ 

◇電話番号は以下の通りです。 
 03‐5805‐7817 舎主・小田原漂情までお願いします。
 メールはページ下部のメールフォームよりお願いします。
posted by 小田原漂情 at 17:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | 論文・論述等

文章を書くこと、すなわち自己表現についてA

2013年03月27日

文章を書くこと、すなわち自己表現についてA

 言問学舎では一昨日から春期講習が始まり、今春の新入塾生たちも加わって、活気のある毎日です。

 昨日は新小学4年生が俳句を作り、新小学6年生は課題作文に挑戦しました。以前にも生徒の短歌をご紹介しましたが、いずれ改めて、最近の生徒の作品・作文をご紹介する機会を作るつもりです。

 さて、すこし日が開いてしまいましたが、子どもたちに「書くことへ第一歩を踏み出させるきっかけ」についてお伝えしたいと思います。

 最初は「作文」についてです。みなさんは、「テーマや題の決まっている作文」と、「まったくの自由作文(何を書いてもよい)」のどちらが、好みでしたか?

 ここ数年、以前より、「自由作文」よりも「テーマや題の決まっている(決められている)作文」の方がいいと言う子が、増えて来ました。何を書いてもいい、という条件だと、まさに「何を書いていいかわからない」となるわけです。

 さて、そのよしあしは別にして、従来から言問学舎の手法として効果を上げている手法を、ご紹介します。自由・課題いずれの場合も共通するものです。

T.テーマ「案」をいくつか提示し、考える「きっかけ」を与える

 今の時期なら、「春休み」「卒業(式)」「進級・進学」「一年間をふりかえって」などです。この中から好きなものを選んで書きなさい、というだけで、「考えること」が始まります。自由作文では、少し時間を置いても書けない場合に、この手法をとります。

U.対話によって、子どもの体験や思いを引き出す
  
   テーマがあっても、なかなか最初の一歩を踏み出せない子は多いです。そんな時は、  
  一人一人、その子の選んだテーマと、ふだんのその子の言動や考え方に添って、いく  
  つかの問いかけをします。すると、話すことばで返す内容はすぐ出て来ますから、「は
  い、そのことを書いてごらん」というぐあいに、はじめの一行、二行に導きます。
   
   あとは時々、声かけするだけで、悩みながらも子どもたちは書いて行きます。

V.添削は大きな誤りだけに。子どもの思いや考えを認め、伸ばしてゆく
  
   文の書き出しと結びが整合しない、言葉づかいが明らかにおかしい、敬体(〜です、
  〜ます など)と常体(〜だ、〜と思う)が入り混じっているものなどは、きちんと
  添削します。が、子どものユニークな視点、個性については、無理に正すようなこと 
  はせず、感心できる部分があれば、もちろんほめてあげます。

 言問学舎では、「今日は作文を書くよ」と告げた時に、「えー」という声は上がりますが、最終的に書けない、あるいはいやいや書いているという子は、まったくいません。

 そして、子どもたち自身が「やりたくてたまらない」ものに、言問学舎名物の「しりとり作文」があります。これについては次回、ご紹介したいと思います。

文章を書くこと、すなわち自己表現について@
http://mbp-tokyo.com/kotogaku/column/28963/ 

◇電話番号は以下の通りです。 
 03‐5805‐7817 舎主・小田原漂情までお願いします。
 メールはページ下部のメールフォームよりお願いします。
posted by 小田原漂情 at 12:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 論文・論述等

文章を書くこと、すなわち自己表現について@

2013年03月17日

 先般、4回にわたって、「読解力向上」についてお話ししました。表裏一体、読解の次に当然求められる「表現」、つまり文章を書くことについて、お知らせして行きます。

 文章を書くのが苦手、できないという子どもたちは、なぜそのように思っているのでしょう。そういう子たちに、「今日は作文を書きなさい」というと、異口同音に、「何を書いていいかわからない」と言います。感想文も同じです。

 では、その子たちに「自己表現をしたい」という欲求は、ないのでしょうか。

 そんなことはありません。どんな人でも、自分のことをわかって欲しい、という気持ちを、心の中に持っています。おしゃべりしたり、絵を描いたり(これは小さい時、ほぼすべての子どもが好きなことです)、あるいは音楽を「聴く」ことでさえ、自分を見つけることであり、あわせてちょっと口ずさめば、それは立派な「表現」です。

 ですから、「文章が書けない」「何を書いていいかわからない」子どもたちは、書くための入り口がわからない、つまりどうやって「書く」ことをすればいいのかが、わからないだけなのです。やり方さえわかれば、みんな「書きたい」ことは心の中に持っています(本人がそうと気づいていないことも、もちろんあります)。

 そんな子たちを、「書く」ことに踏み出させるには、かんたんな「きっかけ」を与えてあげることです。きらい、できない、となってしまった子たちには、そのきっかけがなかったばかりか、「授業」「課題」という、その子にとっては「苦痛」でしかない機会しか、めぐって来なかったのでしょう。「思ったこと、感じたことを、素直に書きなさい」というだけでは、書くことの第一歩の方法がわからない子に対しては、指導になりません。

 次回以降、具体的な手法について、ご紹介させていただきます。言問学舎で十年間実践し、大きな効果を上げている手法ですので、多くの方のご参考になろうかと思います。

<「読解」についての論述>

第1回 「心」からのアプローチが、国語力を向上させます。 
http://mbp-tokyo.com/kotogaku/column/28708/
第2回 国語力を向上させる「心」とは、広義の「心」です。
http://mbp-tokyo.com/kotogaku/column/28785/ 
第3回 具体的な、読解力向上のための「心」とは?その@<小学校高学年>
http://mbp-tokyo.com/kotogaku/column/28885/
[第4回 具体的な、読解力向上のための「心」とは?そのA<小学校低学年および小学生のまとめ>
http://mbp-tokyo.com/kotogaku/column/28913/

◇電話番号は以下の通りです。 
 03‐5805‐7817 舎主・小田原漂情までお願いします。
 メールはページ下部のメールフォームよりお願いします。
posted by 小田原漂情 at 11:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 論文・論述等

具体的な、読解力向上のための「心」とは?そのA<小学校低学年および小学生のまとめ>

2013年03月14日

 引きつづき、具体的な国語力向上のための「心」のうち、<小学校低学年>についてお話しします。

 小学3年生は、まだ「悲しみ」とか「善悪」ということを考えさせるには、少し早い年代です(日々の生活の善悪は、もちろん別です)。いっぽうで「学校」という「社会」には、すっかり慣れて来ていますから、生活や交友の範囲が広がって行くのと同じように、読むものの世界も広げて行きます。題材の種別の「幅」ではなく、書かれている内容の世界を広くするということですね。
 1・2年生における、身のまわりのことを対象とする世界から場面が広がり、あるいは生き物についてなら、より細かく、詳しく観察をする内容というように、文章の中身が深く、広くなって行き、それにつれて「心」の動きも広がって行く、という流れになります。

 2年生は、本格的に「文」を読めるようになる段階です。同時に、1年生での単文(一文の中に主語・述語が一組だけの文)中心から、重文(一文の中に、並立の関係の二組の主語・述語が含まれる文)や、少しずつ複文(一文の中に、関係の違う二組以上の主語・述語が含まれる文)も出て来るようになります。「2年生ごろから国語が苦手になった」と振り返る子が多いのは、テストで内容の○×がふえることのほかに、この「複文」の関係がよくわからないまま2・3年生を過ごしてしまうからかも知れません(文法として単文・重文・複文の学習が必要だということではありません)。
 読解という観点からは、「ことば」と「文」を読むこと自体が目的であり中心だった1年生とくらべ、内容にきちんと入りはじめる段階です。ただ、まだ生活の範囲も狭いので、本人の理解の及ぶ範囲の内容で、自分の「気持ち」に気づかせてあげるような指導が望まれます。

 1年生は、人によってはひらがなから習い始め、自分の名前、学校や先生の名前、友達の名前、日々ふれ合うものごとすべての名前や、生活の中で用いられることばを身につけて行くことが中心です。もちろん「文」も読みますが、その結果、「何を思ったか」などと問うことは、一般的にはまだできません(問うならば、好きか嫌いか式の二者択一か、いくつかの形容詞や形容動詞を示して〜やさしい、意地悪だ、悪い、かっこいい等々〜選ばせるのが妥当なところでしょう)。
 だから、「心」との関連がないのかというと、そんなことはありません。どんどん知識を増やし、関心を広げて行くこの時期にこそ、ことばや短い文の単位で、「感じとる心」を育ててゆくことが大切です。そのフィールドは「身のまわり」であり、ことば=少し硬く言うと「名辞」の認識のさせ方によって、イメージを広げてゆくことができるのです。

 これまで述べて来たことを、低学年・高学年の別でまとめてみます。

 1年生〜3年生は、身のまわりのものごとから、だんだん広い範囲へと知識や関心を広げていく中で、言葉のイメージや想像力を豊かにすることで、国語の力が伸びて行きます。 
 4年生〜6年生では、それを掘り下げて、深い、感情の部分にまで思考と感性を届かせて行く、そして結果的に、表現も上達して行く、こうした流れを作って行くことが、読解を中心とした国語指導の目標となります。

 以上のような国語指導を、言問学舎では実践しています。また、塾へお出でになることができないお子さんたちのために、通信添削講座の開講を準備しております。詳細は近日中にお知らせしたいと存じます。また「中学生の<心>」と国語とのかかわりについては、時機を改めてお伝えさせていただきます。

◇前回までの各章については、以下のリンクからもご覧いただけます(本ページの前回分と同一のものです)。

第1回 「心」からのアプローチが、国語力を向上させます。 
http://mbp-tokyo.com/kotogaku/column/28708/
第2回 国語力を向上させる「心」とは、広義の「心」です。 
http://mbp-tokyo.com/kotogaku/column/28785/
第3回 具体的な、読解力向上のための「心」とは?その@<小学校高学年>
http://mbp-tokyo.com/kotogaku/column/28885/

◇電話番号は以下の通りです。 
 03‐5805‐7817 舎主・小田原漂情までお願いします。
 メールはページ下部のメールフォームよりお願いします。
posted by 小田原漂情 at 18:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 論文・論述等

具体的な、読解力向上のための「心」とは?その@<小学校高学年>

2013年03月13日

 国語力を向上させる鍵は「心」からのアプローチであり、その「心」とは好奇心などを含んだ広義の「心」であるところまで、ご案内しました。

 では、具体的にはどのように子どもたちに接して行くかということですが、情緒的な想像力というものを求めうるのは、小学5年生ぐらいからが標準的なところです。また当然、個人差、年齢差(同じ学年でも、生まれ月によって発達の度合いが異なります)、環境や体験の差があり、一概には言えません。が、おおむね5年生のクラスなら、幅広い題材を用いて、学校や友人、友情、(ある程度の)異性への感情、人間関係に対する考え(「いじめ」についてなど)等々、いろいろな面から気持ちを問うて行くことができます。

 6年生ももちろん同様ですが、逆に年齢が上がっている分、子ども自身の実際の環境との関連に、配慮が必要です。また、ある意味で5年生より思考が「固まって」しまっている子も出て来ます。

 4年生以前はどうでしょうか。実は4年生が、少しずつ題材の幅を広げはじめる学年であり、1学期と2学期(学年の前半と後半)の違いも大きいのです。学校の教科書では、
戦争に行って帰って来なかったお父さんと、その顔を覚えていないほど幼い少女の物語である『一つの花』(今西祐行 作)が掲載されています。「戦争で食べるものがなかった」「幼い娘を置いて戦争に行き、帰って来なかったお父さん」といったことを、受けとめることが可能になる年代ということです。ですからこの学年では、様子を見ながら、その子(たち)に合った内容で、幅を広げて行くことが大切です。

 <小学校低学年>については、回をあらためてご案内させていただきます。

◇前章国語力を向上させる「心」とは、広義の「心」です および前々章「心」からのアプローチが、国語力を向上させます は、こちらからもご覧いただけます(本ページの前回分と同一のものです)。

http://mbp-tokyo.com/kotogaku/column/28785/ 前章
http://mbp-tokyo.com/kotogaku/column/28708/ 前々章

◇電話番号は以下の通りです。 
 03‐5805‐7817 舎主・小田原漂情までお願いします。
 メールはページ下部のメールフォームよりお願いします。
posted by 小田原漂情 at 20:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 論文・論述等

国語力を向上させる「心」とは、広義の「心」です。

2013年03月10日

 前回(3/7)、「心」からのアプローチが国語力を向上させることをお伝えしました。具体的にその方法をご案内するのが目的なのですが、もう一回だけ、補足的に序論の続きを述べておきたいと思います。

 「心」からのアプローチというと、その「心」とは、物語を読んで「感動」することだ、と受け取られることが多いです。実際、「文学の目的は、結局読者の心情を動かすことにある」(山本健吉)という言葉もある通り、心情をあらわす「心」の動きによって国語の何かをつかんでくれれば、それに越したことはないのですが、ただそこに限定してしまうと、国語力を向上させることも、文学を受け入れる人だけが対象になってしまいます。

 これでは、多くの子どもたちに国語を好きになってもらい、国語力を向上させることにはつながりません。ですから、私が「心」からのアプローチで国語力を向上させるというのは、その「心」をもっと広義にとらえているのだということを、申し上げておきます。

 すなわち、ここでいう「心」には、好奇心の「心」、探究心の「心」、そして関心の「心」が含まれるのです。子どもの関心のおもむくところ、すべてが国語への入り口です。なぜなら、関心を向けた対象について、誰しも言葉でそれを認識し、考察してゆくのですから。このチャンスをつかまえ、言葉を用いることによって「心」を動かし、その動くエネルギーの力で国語の仕組みをとらえさせて行く、これが「心」からのアプローチで国語力を向上させることにほかなりません。

 そして、この手法ではすべての子が、国語力を伸ばす機会に恵まれます。何かに夢中になれる時、誰でもたくさんのことを吸収します。そのきっかけを作ることがむずかしいので、ご家庭ではなかなか「国語を教える」ことができないかと思います。でも小学生は特に吸収が速いので、きっかけさえ作ってあげれば、どんどん伸びて行くものです。

 また、黙読ではなく音読が、効果的です。いやいややらされる音読でなく、楽しくメリハリのある音読をすることで、脳の働きも活発になり、気づかなかったことに気づくなどのメリットも得られます。

 これらをバランスよく組み合わせることで、お子さんたちの国語力は見違えるように向上します。ひきつづき、国語の勉強法についてご案内させていただきたいと思います。

前章「心」からのアプローチが、国語力を向上させます は、こちらからもご覧いただけます(本ページの前回分と同一のものです)。

http://mbp-tokyo.com/kotogaku/column/28708/

◇電話番号は以下の通りです。 
 03‐5805‐7817 舎主・小田原漂情までお願いします。
 メールはページ下部のメールフォームよりお願いします。
posted by 小田原漂情 at 18:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | 論文・論述等

「心」からのアプローチが、国語力を向上させます。

 国語がきらい、苦手、もしくは文章を書くことができない、というお子さんが、たくさんおられます。言問学舎創業期である十年前とくらべても、その割合は増えているように思われますし、不得手、得手の区別なく、子どもたちの「読んで、書く」ことに対する姿勢が、大きく変わっていることを感じています。

 原因(と思しきことへの仮説)は後述しますが、ひと言で言うと、文字(文)を読み、その背後にあるものを想像しておぎなう力が、著しくそこなわれているように見受けられるのです。

 もちろん、子どもたちの想像力がひとしなみに欠如しているわけではありません。言問学舎名物の「しりとり作文」(授業時間の冒頭15分程度、テーマを決めてしりとりをし、後半は自分の挙げた言葉をつなげて、作文を書く授業)では大喜びで、空想の世界を広げる生徒が多いです。物語・小説を読んだ後の感想も、刺激的な、あるいは瞬間芸的な?反応は、活発に見られます。

 ただ、人物の背景や心情を想像し、自分の気持ちをそこに重ねるという「情緒的な想像力」については、ここ何年かの間で、かなり大きく変わって来ているように思うのです。主人公がなぜそうした行動をとったのか、あるいは涙をこぼしたのか、その意味を類推することに気持ちは動かず(つまり素通りして)、表面的、刺激的なストーリー展開の方に引っ張られる傾向が強いわけです。

 これはもちろん、「程度」の話です。いつの時代でも「主人公の心情」などわからない、考えない、という子は、いるものです。ただ、現在とみに、前段で述べた傾向が強くなっていることを、「国語を教える」現場にいて、私は感じています。

 こうした傾向が強まって来たことの理由の一つに、私は「視覚化・デジタル化の著しい進行」があるのではないかと考えています。

 わかりやすい例が、カーナビです。今のカーナビは、ただ道順を地図で示すだけでなく、ものすごい機能がついていますね。大きな交差点では、車線が分かれる手前から親切に指示が出て、右折が2レーンあるとか、曲がり方が直角ではなく斜め右だとか、指示された通りに進めばだれでも間違えないと言っていいほど、懇切丁寧な案内が出て来ます(価格と機能にもよると思いますが)。

 カーナビがない時代は、出発前にあらかじめ地図を頭に入れ、長い信号待ちで再確認する間などに、地図から想像して来たルートと実際の様子とを頭の中で突き合わせて、いろいろとプランを修正したものです。また、それでも実際に曲がる場所では予想外の展開や大きな勘違いがあったりしましたが、それが予測・修正の繰り返しの上にストーリーを組み立てる仕組みになっていたのです。

 このカーナビの例と同じような状況が子どもたちをも取り巻いていることは、疑いありませんね。むろん、だから昔のような世の中に戻すべきだ、などと言うつもりはありません。そうではなく、きちんとした言葉、文章を、しっかり受けとめる環境さえ整えれば、子どもたちも(もちろん大人も)文章を読むことから様々なことを学び、想像する力を養うことができるということを、みなさんにお伝えし、また実践して行きたいと、言問学舎では考えております。

 その時、鍵となるのはやはり、「心」です。「心」からのアプローチによってこそ、言葉を受けとめる力、国語力は、大きく伸びるはずなのです。

 こうしたことを、これから段階的にお伝えして行きたいと思います。

国語教育に関する言問学舎からのご案内 http://blog3.kotogaku.co.jp/
小田原漂情の読み物のページ http://blog2.kotogaku.co.jp/
YouTube『新雪』 小田原漂情の言葉と声
http://www.youtube.com/watch?v=UWuJJRqCtvQ]]

◇電話番号は以下の通りです。 
 03‐5805‐7817 舎主・小田原漂情までお願いします。
 メールはページ下部のメールフォームよりお願いします。
posted by 小田原漂情 at 18:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 論文・論述等

「国語力を伸ばす」言問学舎の学習法

2011年02月13日

 タイトルとして、「国語力を伸ばす」と一言にくくってありますが、対象年齢(学年)、得意不得意、学習環境や目標、さらには生徒一人一人の個性によって、その方法はさまざまです。ここでは、一般的な考え方を、いくつかの対象の類型ごとにまとめます。

<年齢・学年にかかわりなく、生徒の類型に対して>
 
・国語が「苦手」な生徒の場合 
@ 国語への嫌悪感、恐怖感を取り除くことから始める。
A 具体的には、その子がもっとも興味のある内容の本を読ませ、対話を含めて感じたことを表現する方向に導く。
B 一方で、「自分の考え方、方法が間違っていない」ことを知らしめ、安心させる。よく聞くのが、
「へえ、こういう答えでいいんだ」という感心の言葉。○×式の勉強で苦しめられて「苦手」
意識の強かった子が、その呪縛から解き放たれる第一歩である。

・国語について本人が「普通です」と答えるタイプの生徒(多くは多少なりとも好きか、自信がある)
@ それまでの「国語体験」の中でもっとも印象的だった作品等を教材として利用し、その生徒が「良い」と思った点を聞き、同調した上で掘り下げる。
A さらに別の視点、別の考察を示唆し、「多面的な読み方」に気づかせる。
B より多くの作品に触れさせることで、それまで知らなかった世界に目を開かせ、「自己表現」の
方向へつなげていく。

・「国語が好き」とはっきり口にする生徒
@ 大前提として、「良いところを伸ばす」。特に生徒本人の感じ方を大事にし、はじめから実作を含む詩歌等の実作にも取り組んでみる。
A 良いところを伸ばす一方で、多くの作品・問題に当たらせ、「まだ足りない自分」や「もっと広い世界」に気づかせる。
B 「こちら(教師)の持てるもの」を、たとえば詩の朗読や解釈で、時にどんとぶつける。教師と生徒との真剣勝負で、共通の国語の世界を構築していく。

<年齢・学年別のとらえ方>
・小・中学生について
  つきつめると「国語の魅力=楽しさ、面白さ、共感・感動、深さなどを実感させる」に集約される。
  その上で、大まかに次のような目安がある。
 小学1・2年生 「ことば」と「どんどん広がる身の回りの世界」が自分を作っていく時。生活科的  
         な要素も含みつつ、「ことばによる発見」「ことばと自分」を自然にわからせる。
 小学3・4年生 「言葉と文だけのもの(絵のないもの)」が読めるようになる年齢であり、また外
         の世界でも「自分」が強くあらわれる時。感性開花の下地を作る。 
 小学5・6年生 環境・目標により、指導内容も方針も分かれるとき。私立中受験の生徒には、受験
         問題に対応しつつも、特に5年で音読からの「国語の基本」を徹底する。私立中受  
         験以外の生徒には、言葉の魅力と「自分で考えることの楽しさ」を知らしめる。
・高校生について
  学年にもよるが、小・中学生とはっきり違うところは、論理(国語・言葉の仕組みを含む)と知識  
  が必須のものになること。目標とされる大学入試では、評論文のウェートが大きくなる。言問学舎
  の特徴としては、文の仕組みやつながりなどと、扱われている文章の内容の背景まで、対象生徒に
  わかるように教えることが上げられる。
  また1年、2年の間は、できる限り「音読」や「作品の味読」の機会を作り、「国語そのもの」を
  知ってもらう。その方が、最終的には得点力も伸びる。

ここで、言問学舎の国語指導の特徴を一言でまとめると、「生徒の心を動かして言葉と文の中身(深さ)を教える」ということになります。

<音読の活用〜なぜ音読が有効か>
 @リズムと語感
  日本語に固有のリズムと語感を、音読によって生徒が受け取る。そのことで、日本語の美しさや、
  国語を学ぶことの楽しさを、生徒が「体感」する。
 A解釈のあらわれ
  同じ作品でも、解釈の仕方によって表現(音読・朗読)の仕方は異なる。作品ごとのきちんとした  
  解釈に裏付けされた音読で、生徒が国語を「正しく理解」してゆく。
 B誤読の確認と防止
  黙読では、多くの子どもは間違った読みをしたまま、文の意味をも取り違えていることが多い。授  
  業で生徒が音読することは、間違った読みを発見、防止する一方で、「きちんと読もう」という心 
  がけを生むことにもつながる。おのずと、読み間違いや思い込みを排除することとなり、ひいては
  得点力アップにも結びついてゆく。
   ※ただし、一字一句間違えてはいけない、というような指導は言語道断。文意・文脈をそこなう
    ような誤読でなければ、あまり頻繁な場合以外注意する必要はない。

<自己表現へ〜なぜ「表現」するのか>
 @読み、受け止めたことの確認
  文章を読んだ時、誰もが第一印象でその内容を受けとめ、自分の知識や体験、考えを、そこに重ね
  ている。けれどもそれだけでは、漠然としたイメージでしか、内容や考えをとらえていない。自分
  の感じ方、受けとめ方を書き表すことで、はじめてイメージが形になる。
 A気持ちの出し入れ
  感じたことを文章にあらわす時、誰でも二度三度と、気持ちや思考の整理をする。それは国語を学
  ぶ上でもっとも大切な、「気持ちの出し入れ」にほかならない。
 B対話と定着
  このように、自分の考えをまとめること、それは文章の筆者および自分自身との「対話」である。
  そして書かれた内容は、自分自身の思考として、また個性として定着し、ゆたかな人間性を作り上
  げていくことへとつながる。

 以上が言問学舎オリジナルの、「国語力を伸ばす方法」です。文章表現上は多少むずかしく見えるかも知れませんが、子どもたちはみな楽しく、元気に国語を勉強して、知らず知らずのうちに、ここに記したような効果を身にまとっているようです。

                                            
        了
posted by 小田原漂情 at 14:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 論文・論述等

学習塾における国語指導の要諦 2

2010年11月18日

<文法編>

T.口語文法について

 国語における文法は、口語文法と文語文法とに二分される。このうちの口語文法は、文語文法の体系を援用したものと言ってもよく、随所に曖昧な点を内包しているために、教科書や文法のテキストに書かれていることを、例えば「正確に暗記する」という学習は、国語指導の実態にはあまりふさわしくないものと考えられる。
 その理由のひとつは、国語の勉強をする上で、ふつう日常的には文法を意識しないことが多く、より重要なのが文意を読み取る点にあることが挙げられよう。そして多くの学校現場では、「文法をやるときは文法だけ」、その他のときは「文法にはほとんど、あるいはまったく触れない」状態であり、たまに詰め込みの丸暗記で「文法のテスト」をして優劣をつけるので、「文法ぎらい」の子を増やすばかりか、テストでは高得点の子でも、実際の文法の中身はよくわかっていない、という結果を招来している。
 さらに、あとで詳しく述べる国文法の曖昧な部分(とくに口語文法)について誤解を生じさせないためにも、「丸暗記」は避けなければならないと言えるだろう。もちろん以上の
理由から、学習塾では日常的に読解のための文章の中で、重要な文法事項に触れつづけることが肝要でである。
 こうしたことから、中学の口語文法(区・市立中は基本的にこの範囲まで)では、3年間で次の内容がおおむね理解できれば良し、とすべきであろう。

中学1年次 ことばの単位(文章・段落・文・文節・単語)
        文節と単語の区切りと、自立語・付属語の識別
        主語・述語・修飾語・接続語・独立語

中学2年次 品詞の識別
      用言の活用
      付属語の識別

中学3年次 他の自立語の識別
      まぎらわしい語の識別
      口語文法のまとめ→「文節相互の関係」「音便」などはこの段階で理解
できれば十分である。

具体的な注意点等を、次回にまとめる。
posted by 小田原漂情 at 15:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 論文・論述等

学習塾における国語指導の要諦 1

2010年10月02日

<概論>

 国語指導に力点を置く学習塾で「国語を教える」ということは、学校での勉強や家庭学習において、「国語をどのように勉強して良いかわからない」子どもたちに、まず国語の楽しさを教え、その本質に気づかせ、さらに自己表現力をつけさせることに、その意義がある。なぜなら、どのような先生にめぐり合うかは生徒・保護者に選択基準・選択権がないことであり、「本当の国語を教えてくれる学習塾」でそのような機会に恵まれない場合、「国語の良さ」を知らぬまま大人になる可能性が多分にあると考えられるからである。また多くの学校では、自己表現力=書く力の指導までは手が回らないのが実情だろうとも考えられる。
 一方生徒たちから実際に聞く話として、以下のような指導の実例があるが、小・中学生に対する国語指導としては、大いに疑問符をつけるべきであろう。

 @小説・詩などを読むに際し、教師の肉声はなく、CDを流す。それも何の工夫もなく、「聞かせる」だけ。その後の読み込み、読解すらしないケースがかなりある。
  →プロの朗読を聞かせる方が、生徒にとって得るものがあるという考え方も成立するとは考えられるが、「流しっぱなし」で「あとは自分で考えなさい」では、授業とは言えないし、生徒も白けるばかりであろう。
 A入試の実態、高校での文語とのつながりを考慮せず、いたるところで「丸暗記」をさせる。
 B出来合いのテストで、生徒が考えた答えに機械的に○・×をつけるのみ。生徒の個性・感性と向き合うことはほとんどない。

 きちんとした読解力、その骨格を身につけさせるためには、「国語」そのものと向き合う必要がある。高校生の大学受験期や評論の読み取りには、別の手法も必要だが、本稿では、まず読解の土台を作るための手法と、文法指導における目安を掲げ、学習塾における国語指導のあるべき姿の指針としたい。
  
posted by 小田原漂情 at 09:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 論文・論述等